長編アニメ映画「茄子・アンダルシアの夏」
DVD版解説文原稿・紹介

2008/01/12
訂正2008/01/13
スポーツバイク・ハイロード
青山 宏康


(解説小冊子扉デザイン)

2003年夏に全国松竹・東急系にてロードショー公開された「茄子・アンダルシアの夏」というアニメ映画を知っていますか?宮崎駿作品「千と千尋の神隠し」等の作画監督、高坂希太郎の映画監督デビュー作品として話題をさらった作品です。自転車ファンなら当時の話題は憶えている方も多いでしょう。

この作品は同じ2003年の秋にVapよりDVDとしてリリースされました。DVDには解説の小冊子が入っているものですが、じつは今回この小冊子を執筆したのは自分なのです。

 当時自分が主催していたサイクルイベントの参加者にこのDVDの制作に関わっている方がいらして、「青山さん、解説書いてみない?」と誘って頂いたのがきっかけです。
 しかももともとは高坂監督や主題歌を提供した忌野キヨシローなどの関係者のコメントと並んで技術的な解説文を載せる話だったのですが、調子に乗って原稿をたくさん書いて見せたところ制作の方がずいぶんおもしろがってくださって、結局ほとんどそのまま全文掲載して頂いたのです(高坂監督やキヨシローのコメントが読みたかった方にはゴメンナサイ)。

 ここに載せた内容は自分が提出した原稿の最終版の概要です。

 掲載内容は抜粋となりますがこれを読んでから(または、印刷等して読みながら)、この作品を楽しんでもらえると筆者としては最高にうれしいです。また、作品とは関係なく「ロードレースの世界」を文章で切り取ってお見せすることができているといいな、とも思っています。ちょっと長いですが(小冊子だと全5ページ文です)、ゆっくりご覧いただけるとうれしいです。


DVD「茄子・アンダルシアの夏」解説文(第3案)・抜粋
=シーン解説を念頭に・項目を追加=

※記述はすべて原稿執筆時点(2003年秋)。

 最近は「ツールドフランス」を知っている人も増えてきましたが、まだまだロードレースを実際に観戦したことのある人は少ないと思います。このアニメはとてもリアルにロードレースを描き出した作品です。まず登場するロードレーサー(自転車)の動きが写実的だし、各レースチームのメンバーやその動き、駆け引きもリアルです。さらにその舞台となるスペイン一周レース(ブエルタといいます)という、世界三大ステージレースに数えられる格式高く特色のあるロードレースの描写が実際を彷彿とさせます。

 どんなスポーツもそうですが、ここに挙げたような予備知識を持って観戦すれば興味も興奮も倍増!間違いなしですよ。


1)観客も選手と一体になる、「ロードペインティング」
 映画の冒頭、エルナンデスのバー前の路面に「Venga Pe Pe」(行け!ぺぺ)と白いペインティングがされています。これはひいきの選手を応援する観客がレースの勝負どころの路面にペンキで書き付けるのです。普通はレース速度が遅くなって選手にもはっきり読みやすい登り路面に書きますが平地でも見られます。

(後略)


2)「ステージレース」は自転車レースの華
 この作品の舞台になっているスペイン一周レース(ブエルタ・ア・エスパーニャ)は、数週間をかけていくつもの「ステージ」に区分された数千キロを走破し、もっとも少ない時間で全行程を走破した選手が優勝する、「ステージレース」形式のレースです。

このほかにも一日だけ(といっても250km以上!)で勝敗を決する「ワンデイレース」形式のレースもあり、とりわけ伝統と格式あるいくつかのワンデイレースは「クラシック」の称号を与えられたりもしているのですが、何といってもプロレーサーの最高の晴れ舞台は世界三大ステージレース(ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアおよびブエルタ・ア・エスパーニャ)です。エルナンデスのバーで、ぺぺが走っていることを知った結婚式の参列客から賛嘆があがるのもこのブエルタがプロの最高の舞台なのを知っているからなのです。

 このステージレースの厳しさは、単にその日その日をライバル達と競うばかりでなく、毎日の転戦に蓄積してゆく心身の疲労との戦い、暑熱や酷寒との戦い(初夏のアルプスのレースが吹雪で中止になる例もまれではありません)、さらには長丁場のレースを襲う様々なハプニングとの戦い(パンクや踏切での列車通過待ちなんていうのは序の口で、疲労やケガによるリタイヤ、はてはレース取材のマスコミに見られることを狙った全く無関係な抗議デモでレース中断、などという例まであるのです)といった様々な試練を選手に課するところにあります。

 (後略)

3)超リアルな自転車シーン!
 ロードレーサーというのは実はとても五感に訴える彩り豊かなスポーツです。完璧に調整されたギヤチェーンの快い唸り、自転車が空気の壁をすり抜けるときの風切り音、なんと8気圧以上という高圧レース用タイヤが接地するかすかな地響き、さらにこれらが大集団となって通過するとなれば観客の目前をさながら豪雨のような騒音となって通り過ぎてゆくのです。

(中略)

 この作品はこういったロードレースのディティールを忠実に再現してくれています。一度でも実際のレースを間近に観戦すればその迫力にびっくりすること間違いなしですよ。


4)マニアをにやりとさせるwho’s who(これって誰?)
 分からなくとも差し支えないのですが、実は出場する各チームとその選手はほとんど実際の超一流レーサーのもじりです。例えばKELCHO(ケルチョ)のエース・エラスチンはスペインの強豪チーム、KELMEのロベルト・エラスがモデルだし(いまエラスは別のチームでランス・アームストロングのアシストをしている)、SAICO(サイコ)のチョッチはイタリア・SAECOチームのサルバトーレ・コンメッソの髪型とひげ、といった具合でレースファンなら「あ、あの選手のパロディね」とにやりと納得させられます。

(後略)

5)下りでコースアウト!
ぺぺがチームエースのギルモアをつれて小集団で逃げはじめた直後の下り左コーナーで、最後尾の選手が曲がりきれずに転落コースアウトするシーンがあります。これなどは2001年ツール・ド・フランスの第13ステージで総合優勝を争っていたヤン・ウルリッヒが転倒したシーンを彷彿とさせます(この時は右コーナーでしたが・・・。ちなみにこのときライバルのアームストロングは伝統にのっとり攻撃の手を緩めてライバルの戦線復帰を待ちました。ロードレースにはルールブックにない掟があるのです。)。

(後略)


6)エースとアシスト、ロードレースの掟
 ぺぺは監督の指示でギルモアのためにアタックをかけます。もしもぺぺが自分で勝利したいのであればレース序盤での無謀なアタックは体力の無駄です。しかし、チーム単位でエントリーする大きなロードレースでは、そのレースあるいはそのステージで勝てそうな選手をエースに指名して、ほかの選手はそのアシストに努めるというチーム戦略があるのです。

1934年のツール・ド・フランスでフランスチームのエース、アントナン・マーニュ(この年優勝)がパンク、アシストのルネ・ヴィエットは自らも総合3位の好位置にいたにもかかわらず即座に自分の車輪を差し出してエースを助け、自分は泣きながら路傍でサポートカーが来るのを待ったというあまりにも有名なエピソードがあるくらいです。

 アシストを期待された選手はそれをきっちりこなすのがプロとしての仕事、できなければ来期の契約はもらえません。

(後略)

7)レースの展開を左右する各選手の「脚質(きゃくしつ)」
 9名での逃げをいったん成功させたぺぺに監督が今後の展開の読みを打診すると、ぺぺは各選手の特徴を考え合わせながら分析を返します。実はロード選手達にはそれぞれ自分の得意な走り方(脚質)というのがあります。集団ゴールスプリントのわずか数百メートルで爆発的な瞬発力を見せる「スプリンター」タイプ、山岳コースで誰よりも身軽に坂を駆け上がる「クライマー」タイプ、独走でタイムを競うタイムトライアル(TT)を得意とする「TTスペシャリスト」タイプ、そしてこれらの能力をまんべんなく備えた「オールラウンダー」タイプなどです。

 各選手はレースを走りながら、自分とライバルのこうした脚質、またレースコースの分析(ゴール前は登りなのか下りなのか、コーナーが多いかスプリンターに有利な直線気味かなど)、さらにはライバルが集団を仕切りたがる「仕切屋」タイプなのか「ポーカーフェース」タイプなのか、はたまた協調性を欠く「一匹狼」タイプなのかといった人柄の面まで考慮に入れつつ、自分がトップでゴールする(またはエースを勝たせる)ための戦術を練り上げていくのです。

(後略)


8)前を追走する選手達を吹きちぎるアンダルシアの砂嵐!
 選手たちは峠の直前で砂嵐に遭遇、力尽きたレーサーたちが吹きちぎられて集団が分解していきます。

 そもそもなぜ窮屈にくっつきあって走るかといえば、自転車が高速で走る時の最大の抵抗は空気抵抗なのですが、前の選手を風よけにすることでこの抵抗を大きく減らせるからなのです。前から4番目の選手は先頭に比べて最大で3割も少ない労力で走ることが出来るというデータもあります(かつて旧東ドイツのトラック競技チームが前後にくっつきすぎてお互いのタイヤを擦りあわせすぎてパンク、などという事件もあったそうです)。作中でもPAMEIのエース級選手が一緒に逃げているほかのチームの選手にハッパをかけ、ローテーションで前を引かせようとするシーンがありますね。

 (後略)

9)アタックする選手と集団との「腹のさぐり合い」
 峠を越えた平坦な直線、エスケープには全く不利な地形のところで、エースのギルモアを援護して先頭集団を攪乱する意図でぺぺは加速して先頭に立ちます。ところがライバル達はぺぺの動きを攪乱と見破りそのまま泳がせます。

 攻撃を仕掛けた選手に対してどのように対応するかは、相手の力量や脚質、こちらの戦術、ほかのライバルの思惑など様々な要素を考え合わせたまさしく「お互いの腹のさぐり合い」で、これが自転車ロードレースのもっとも難しいところでもあり、また興味深く人間くさいところでもあります。観戦する側も知識が多いほど選手や監督の読みが深く理解できるところです。


10)選手を翻弄するハプニング
 泳がされたと気づいたところでぺぺはいったん逃げ集団に戻って新たな仕掛けを考えるべきだったのですが、ここでハプニングが起こります。コースに飛び出した黒猫に絡んでギルモアが落車リタイヤ、単独で十数秒リードを保っていたぺぺにそのまま勝利を狙うようにとチームの指示が変更されたのです。ここからぺぺの無謀かつ孤独な勝負が始まりました。

 実際のレースでも劇的なハプニングはしばしば起こります。大レースを左右したハプニングといえば1989年のツールドフランス最終ステージ、アメリカ人グレッグ・レモンがわずか8秒差で奇跡の逆転優勝を遂げたシーンがあります。この日ライバルのローラン・フィニョンは見るからに力無く苦しみつつ走っていました。実はフィニョンは数日前からお尻にはれものができて、激痛に耐えつつサドルに座っていたのです。もしもこれがなかったならフィニョンは前日までの50秒差を守りきってツールの総合優勝を手にしていたかもしれなかったのです。

(後略)

11)レースを彩る華やかなスポンサーと「キャラバン隊」
 コースの途中に建つエルナンデスのバーでぺぺの通過を待つアンヘル達の前を、仮装パレードのような「キャラバン隊」が通過します。これは各チームのスポンサーが仕立てた広告用のパレードで、沿道の観客にキャップやボトル、応援グッズといった小物をバラ撒いていきます(これをもらうのが現地での応援の大きな楽しみだそうですよ)。各チームだけでなくレースもスポンサーからの広告収入で運営されていますから、キャラバン隊は大ステージレースの欠かせない一部なのです。

 レースが文化として根付いているヨーロッパでは実に様々な企業が自転車レースをスポンサードしています。例えばコーヒーメーカー制作会社(サエコ)、通信事業会社(テレコム)、クレジット会社(コフィディス)、スポーツウェア(ケルメ)、銀行(バネストやクレディアグリコル)、宝くじ会社(ロットやエフデジュ)、といった様子でまさに千差万別です。地方自治体がスポンサーなどという例(ビッグマット=オーベールなど)もあります。

 (後略)


12)孤独に逃げるぺぺを見下ろす「黒い牛」
 レースに集中しつつもぺぺにとって住みにくい出身地方を走ることでものを思わずにはいられない、やや遠い目をして独走を続けるぺぺは黒牛の巨大な看板の下を通過します。この看板もスペイン一周レース(ブエルタ)に実際にある光景です。ただ真っ黒で巨大な鉄製の闘牛の看板が荒野にぽつんと立っている様子は実に印象的で、象徴的ですらありますがこれは地元のお酒の広告看板なのだそうです。

13)タイム差を宣告する「冷たい方程式」と、戦い続けるための勇気
 やがてゴールまで残り4km、大集団と先頭のタイム差は1分を切ります。独走するぺぺと大集団の圧倒的な速度差を考えると普通ではまず絶対にゴール前で追いつかれてしまうことが冷酷な数字で解説されます。数字という事実で敗北の運命を宣告されながらもなおひとすじの希望を捨てずにゴールに突進しつづけるには大きな勇気を必要とします。一度でも同じ状況に立ったことのある者ならば決して忘れられないシーンです。大集団が先頭を追って加速し、さながら獲物を狙う生きた槍のように一列棒状で突進する光景は逃げるぺぺを応援する者にとっては恐ろしいシーンです。

 レースはゴール前2kmで古い町並みを通過。見通しのつかない石畳が前を追う集団の進行速度を殺し、勝手を知った地元選手に思わぬ有利をもたらします。
ゴール前1kmでついにぺぺ、追走集団、スプリンター・ベザルを擁する大集団が一直線に並び、先頭は完全に追走者の視野に捉えられます。これで通常は心理的に勝負がついてしまうものです。

 追走集団からはスプリンター・チョッチとのゴール対決を嫌ったザメンホフがロングスパート、一気にぺぺに襲いかかります。チョッチもこれに反応しぺぺは追いつめられますがかろうじて最後の右コーナーを先頭で通過、コーナーでザメンホフとチョッチはやや後退します。ゴール前400mで再び二人がぺぺに並びかけ、さらに後方大集団から発射された超一流スプリンター・ベザルが一気に並びかけて、ゴール前最後の200mを四者が横一線になって突進します。


14)出る気がしなくても「トイレは義務」
 ゴールでどんな展開が用意されているかは未見の方達のためにとっておくとして、ぺぺは表彰式の後、脱水しきった体でドーピングチェックのため採尿に向かいます。へとへとに疲れ切った選手達にとってこの「儀式」はなかなかツライものだといますが、これもリアルなレースのディティールですね。

15)そしてレースは続く。チームは「旅する家族」
 一日の疲れをほぐして宿舎に帰ったぺぺを待つのがチーム全員でのディナーです。ステージレースのチームは選手達のほかに、監督、メカニック数名、さらにマッサー(マッサージ師兼補給食担当)というスタッフで成り立ちます。マッサージは自転車の世界ではとても一般的な体調維持手段で、またマッサーは選手の精神的なケアを受け持つこともしばしばです。

 ステージレースではその日勝っても負けても翌日にはまた新しいステージが続きますから当然アルコールも控えめです(チームによってワイン一杯のみ可、という程度。ただし、過去には乱痴気騒ぎをこよなく愛したジャック・アンクティルといった例外もあります)。またチームの各メンバーは勝利という共通の目的の下に結束して連日の過酷なステージを走り通し(スタッフのサポートワークも大変な重労働なのです)、さらに毎日新しい場所へ転戦を続けるのですから、チームのメンバーはいわば家族のようなもの。皆で囲む夕食はひときわ大事な憩いのひとときでもあるのです。

 こうしてステージレースは翌日へと続いていきます。


 自転車競技、なかんづくロードレースは運と実力・栄光と悲哀が交錯する、とても人間くさく人生そのものを彷彿とさせるゲームです。ですから逆に生きることのリアルなタフさとすばらしさ、人生のドラマを凝縮して描くためにロードレースを舞台に選んだこの映画は「まさにぴったり」と感じます。

 人生に欠かせないユーモアだってたっぷりです。TVの解説に相づちを返す若者、バーの窓越しに見えるキャラバン隊で巨大なヤカンの張りぼてが通過(スペインにヤカンはありえない!)、そしてエンディングを締めてくれる忌野清志郎の替え歌「自転車ショー歌」も、楽しさで一杯です。

 この映画を見てくれた方達が自転車に乗ること、自転車レースを見ること、そして自転車に関わることで輝いている沢山の人たちに興味を持ってくれればとても幸せです。そして、楽しくて熱い映画を見せてくれた高坂監督、ありがとうございます。いつか一緒に走りましょうね!

※記述はすべて原稿執筆時点(2003年秋)。



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